おいしーモノの想い出。幼少期。

薄れゆく記憶を残しておこう・・・。

 まずは,東京・大崎幼稚園の頃。
 幼稚園でよくウンコを漏らしては,園長の寺井ミヨ先生にパンツを取り換えてもらって,ビニール袋に入れて持って帰っていた頃のことです。
 バナナはダイキライでした。でもどっかのおばさん(母の友人か親戚)が,バナナを持ってきて,「美味しーから食べてごらん」といわれて食べたら美味しくてそれからバナナを食べられるようになりました。母が後で「フィリピンバナナじゃなくて台湾バナナだから美味しいのよ」と言っていたよーな。

 東京では,よく百貨店に連れて行ってもらいました。大食堂で食べるのはザルそば!一人で一枚ぺろりと平らげて母親が後々まで「一人でザル一枚たいらげてたよね~」と言っていた記憶があります。

 インスタントラーメン。エースコックのワンタッチ麺・・・と記憶していたのですが,どうも正確な記憶ではないみたい。最近,調べてみるとエースコックならばワンタンメン。チキンラーメンだったのかも,とにかく,熱湯を注ぎ,蓋をして3分間。絶対に開けてはイケナイ!といわれて我慢して,出来て食べた時のおいしさ。その後,数年間は食べさしてもらえなかったよーな。

 東京から広島に戻って。千田町の修道のすぐ裏のアパートに住んでいました。文化祭の時に使っていた木とアルミホイル?でできた剣がとても欲しかったり,食堂のうどんやそばを塀越しに受け取って食べていた記憶。文化祭で見せてもらった「カエルの解剖」は衝撃的でした。
 この時に通った幼稚園ではイジメが横行していて,先生もかなり疲れていたようで,イジメを見て見ぬふり。食べ物については,お弁当のおにぎりからでた白い汁が気持ち悪くて戻しそうな所へ持ってきて,布団蒸しにされて実際に戻してしまったイヤな想い出しかありません。

 小学校にあがる直前に,山口県の宇部に引っ越しました。小学校・中学校とこの町で過ごし,自分に取ってはここが故郷ともいえる場所です。

 小野田との境界に近い厚南区。流川(広島で有名な歓楽街と同じ名前www)と言う所が最寄りのバス停で,ここの近くに「なかよし」と言う食堂がありました。鍋焼きうどん・たこ焼き・お好み焼き。すべて,この店で初めて食べました。後でわかった事ですが,ここは小学校の同級生のおうちでした。健康優良児の女の子のおうち。
 なべ焼きうどんは金属の器でぐつぐつ煮えていて,肉・玉子,かまぼこ・・・そして何よりとろろ昆布が美味かった。たこ焼きは今のように外カリ中フワではなく,多めのメリケン粉で中空。固めの外側で中にタコが入っていました。自分はしばらく,タコ焼きは中空でなければプロの技でないとおもっていました。お好み焼きももやしとキャベツだけだけど美味かった。自分のタコ焼き・お好み焼きの原点はここ。

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