講演「反戦詩画人 四國五郎が伝えたかったこと」

講演に行ってきました。

2021年10月17日(日)まで廿日市美術ギャラリーで開催されている
核兵器禁止条約発効記念事業
第25回平和美術展
「四國五郎 平和へのメッセージ~シベリアからヒロシマへ」

記念講演「反戦詩画人 四國五郎が伝えたかったこと」
講師:四國光(四國五郎 長男)

 

美術展については,二度伺いました。

 

 

 1度目は,閉館間近だったので,館内の俯瞰的写真を撮るのに精一杯でした。さっと眺めただけで,単純に絵画や詩・展示の素晴らしさを感じて帰りました。

 

 2度目は,じっくりと四國五郎氏・平和へのメッセージというタイトルを念頭において鑑賞し,最後に映像を見て,平和・反戦へのメッセージ。戦争に対する憎しみと怒りの情念を強く感じとれました。

 

 今回の講演を聞いて自分の中ではうまく整理されていなかった想いがすっきり整理できました。
 「描かれている内容は,悲惨なものやおどろおどろしいものもあるのに,どの絵画も美しく感じた」のは何故だったのか。その理由の一部がわかりました。

 

 命をかけて記録を残し,戦争の記憶が伝達・継承されるように活動し続けた四國五郎氏からのメッセージが,その遺志をつぐ四國光氏の講演で強烈に私の心の中にも刻まれました。

 実は行く前には,ここ最近薬のせいか?血圧のアンバランスのせいか?,日中,とても眠くなること多くて,1時間半の講演中に寝てしまうという失礼な事をしたらどうしよう,と不安だったのですが,2時間の間,光氏のお話に聞き入ってしまい,そんな心配は無用でした。

 「自分の芸術」よりも「平和のメッセージ」を・・・という言葉。
四國氏の画詩の芸術性の高さ,そしてそのメッセージの重要さとは比較にならないレベルなのでおこがましいのですが,自分の写真撮影に照らし合わせてみます。

 自分の写真撮影の原点は,若い頃に仕事として「情報を伝えるため」に取材をして歩き,写真を撮影し,記事を書いた「報道」にあります。今は趣味として写真撮影を楽しんでいますが,私の撮る写真はとかく「説明的」なものになりがちでした。なんだか思うような写真が撮影できなかった時に,仕事がらみで写真コンテスト関係のイベントに行き,そこで著名な写真家の方や映像関係の先生に教えを乞う機会がありました。その時「一通りの技術は身につけておられるのだから,説明的な写真よりも,なんだろう?・・・と思わせるような写真を撮って見られるのも良いですよ」とご教示いただき,写真撮影に対する視野が広がった事がありました。

 でも,やはり今でもどちらかと言うと説明的な写真を撮っていることの方が多いのです。
 植田正治氏的な写真よりは林忠彦氏的な写真の方が好きなんだと思います。林忠彦氏ご本人だったか?解説をされていた方の言葉だったか?「写真は撮ってあるだけで素晴らしい」という言葉が,自分の座右の銘でもあります。「その時の現実を後世に残せるのだから」と言うような言葉が続いていたのですが,後半は忘れました。
 四國氏はカメラのない時代に,いやカメラがあったとしても残すことはできないであろう「その時の現実」を,画詩で残されているわけです。そして伝達・継承の活動をさらに広められている。とても共感しました。

 さて,家に帰ってから,未だ整理しきれていない父母の遺品の整理をしました。写真や書類。そして父が使っていたカメラ。懐かしいカメラがでてきました。

 

 

平和美術展は,来週日曜までです。
まだの方は事情の許す限り,是非,行ってみてください。
特に若い方々,近くまで来られることがありましたら,ふらりと気楽に覗いてみてください。

 

 

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