独断と偏見による厳島のレアスポットweb探訪です。
今回は,宮島に残る砲台跡地。
日清・日露戦争の頃,ロシアのバルチック艦隊等が,大野瀬戸や宮島海峡を通過して,広島湾や呉港に侵入するのを阻止する目的で建設されたものらしいです。
「室浜砲台跡地」
大元公園の先のトンネルをくぐり,大野瀬戸沿いの道を進んだところにある広島大学附属植物実験所の敷地内にあります。
「鷹ノ巣砲台跡地」
室浜砲台とは反対方向。桟橋から左側へ。
杉之浦・包ヶ浦を越えて,宮島海峡ぞいの林道を進むとたどり着きます。
林道より海側に鷹ノ巣浦低砲台があって,こちらは崩れてしまっています。
調べていて,林道から山側に登ったところに鷹ノ巣浦高砲台があり,いろいろな施設跡がまだ残っている事を知りました。
私もこちらには行った事がないので,今度行ってみようと思います。
「御床山砲台跡地」
宮島の秘境。岩船岳のさらに奥にある御床山にある砲台跡地。
たどり着くには,十分な調査と準備。そして装備と体力が必要です。
御床山からの帰路は,海岸線の長浦か御床浦に降りて,海岸線を帰ります。
往路でかなりへとへとなので,帰路はアップダウンの少ない海岸沿いを帰らないと,足がもちません。
海岸線のレアスポット
「おにぎり岩」
勝手に命名www
「内侍岩伝説」
平安時代、厳島神社の巫女のことを内侍と呼んでいました。
内侍は都からくだってきた貴族をもてなす係でもありました。
17歳の有子内侍(ありこないし)は、下ってきた貴族=大納言である徳大寺実定(とくだいじさねさだ)と恋に落ち,夢のような時間をすごします。
しかし実定は都へ帰る身。実定が京に帰る時、有子内侍はこの岩に上がり,実定が乗った船が見えなくなるまで,手を振り続けて見送ったと云われています。
その後,有子内侍は恋心を抑えきれずに,船で都に向かいます。
しかし,左代将の実貞と名もない巫女の有子内侍は身分が違いすぎ,有子内侍は及ばぬ恋と身を引きます。
そして,かなわぬ恋にこの世をはかなみ,
「はかなしや 浪の下にもいりぬべし 月の都の人や見るとて」
という辞世の歌を詠み,海に身を投じました。
失恋し,内侍岩の上で広島に向けて手を振るPunipuny